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新チームスタート!普通の人々でGiantKillingを目指します。
スーパースターを集めたチームで試合に勝っても面白くないじゃん。
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いよいよ明日からインターハイ予選が始まります。目指すは再びの東京都ベスト8、いやインターハイ出場。待ってろよ、石川県!

というわけで、今日は下級生から3年生に向けてサプライズの贈り物がありました。
練習後に生徒たちが持ち寄ったものは、手づくりの袋。相手の個性を考えてデザインや刺繍を施した一点モノのバッグです。毎日毎日、練習で時間がない中でよく作ったなぁ。

明日はいい雰囲気で大会に臨めそうです。試合に出る人だけでなく、試合に出られない人にもできることはある。贈られた側が受け取ったものは、きっと袋だけではないでしょう。グッジョブ!(・_・)b



<今日のヒトコト>

 ●最後に勝敗を決めるのは、技術や能力の差ではない。

  →どれだけ勝ちたいと望んでいるのか、原点に立ち返って戦うべし!
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忙しさにかまけてblogをすっかりさぼってしまいました。
長期放置の件、お詫び申し上げます。

この間に関東大会予選において、5年ぶりのベスト8降格という「惨事」があり、にもかかわらず部活動に顔を出すことができず、という状況で、何かと誤解を招いているようなので、少し書かせてもらうことにしました。

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ぼくの反応がドライなのは、おそらくは山に由来すると思われます。

以前何かの本でこんな話を読んだことがありました。
「パタゴニア社の子どもは泣かない子が多い」

パタゴニア社は言わずと知れたアウトドアメーカーで、社員にも積極的に休みを取ってフィールドへ出ることを進めているそうです。その社員の子どもたちに「泣かない子」が多いのだとか。

これには心当たりがあります。自然を相手にしていると、泣いていても何も状況は変わらないから。
昨年の9月、増水した沢を歩いていたら、かなり奥まで進んだ所で目の前に手強そうな滝が現れました。通常の水量ならまだしも、これはちょっと無理なのでは-

前に進まなければ生きて家には帰れない状況です。

そこで自分がしたことは泣くことでもなければ、「もう1本ロープを持って来るんだった」とかあり得ないことを考えることでもなく、ただ、次に何をすべきか考える。それだけでした。今その場にいるメンバーと手持ちの道具だけで何ができるか知恵をふりしぼる。ただそれだけ。

パタゴニアの子も、父親に連れられてフィールドに出るうちに、泣かないことを自然と身に着けて行くんだろうな、と思った次第です。

翻って、バスケットの生徒はよく泣きますね。気持ちはわかるけれども、感覚的には深い溝を感じます。人を相手にしているからか、男子と女子のちがいなのか、理解に苦しむところです。
入部を表明している中学生(次年度の新1年生)に来てもらい、他校も交えて合同練習をしました。
入部が確定している人はぼくが知る限りでは12名。これから入部してくる人も数名いると思うので、現役17名と合わせて4月からはかなりの大所帯になりそうです。

練習を見ながら、コーチとこんな話をしました。

「チームカラーをわかった上で入部する人が出てくるようになった」

一昨年のウィンターカップ出場の際に「最後まで走った者が勝つ!」という横断幕をつくり、「走るバスケット」を掲げて練習に励んできましたが、そこに自然と溶け込める1年生が入ってきたのはおそらく初めてなのです。
「走れ」と言わなくても走っているし、駒澤のプレイスタイルを理解した上でうちのチームを目指してきている人もいます。

逆に言うとようやくチームカラーができてきた、ということか。
今日はそれを実感した一日でした。
追記にしようと思ったのだけれど、話題がふくらんでしまいそうなので別立てにしました。

客観と主観のずれは身近な所にもたくさんあるようです。いくつか列挙してみると-

例えばスノーボード。
最初に習う「前足加重」というやつがあります。前足に体重をのせ、後足をずらすようにして曲がるドリフトターンでは大切なテクニックなのですが、これがなかなか難しい。

普通に「加重」というと、知らない人は足で蹴るようにして体重をかけようとしますが、これが逆効果。
蹴り出そうとすると足がのびてしまい、むしろ体重が後足にかかってしまうのです。

主観的には前足の上に沈みこむような感じで体重をのせるのが正解。
もちろん膝は深く曲がります。

以前に書いた「壁押し」などもそうですね。
全力で壁を押すにはどのようにすればよいか?

壁がなくなったら倒れてしまうような押し方では、押しているつもりでも実は壁に支えてもらっているだけの姿勢でしかなく、ここにも客観と主観のずれが見て取れます。
(もちろん壁がなくなっても倒れないような押し方ができて、初めて「自分で押している」と言えるのです)

ことは運動だけに限りません。

ぼくの専門である物理学では、まず「そこにないもの」を見ます。
その状況を考える上で必要なのだけれどそこに書かれていないものをすべて見出し、文字で置いてから問題を考えます。
「ないもの」に気づくにはどうすればいいか?それが初心者がぶつかる最初の壁です。

「先生、どの公式を覚えておけばいいですか?」
あぁ、なんて無意味な質問なのだろう。物理は覚える学問ではないのに。
勉強=覚えること、と思ってここまで来てしまった人は、物理学に出会うと何をしてよいのかわからなくなってしまうようです。(物理学は方法の学問です!)

客観的には「あるもの」を手掛かりにして問題を解いているように見えるかも知れませんが、主観的には「ここにないものを探す」という作業から始まる別の「何か」をしているわけで、これも客観と主観のずれの一例です。

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実はこの前の職員会議で、学校アンケートの集計結果が公表されました。

「少なくとも大学までは専門部の経験がある人がその部活動を見るべきだ」
「外部コーチに任せっきりで、練習すら見ていない顧問がいる」 etc.

個別の意見で、部活動の人選に関してきびしい意見が出ていたのが気になりました。
まぁ、いろいろと事情はあるのだけれど、専門でない部活動を持つことになって困るのは「主観的なるもの」がまったく欠落しているというこの一点に尽きます。

コート上に長く立っていた経験からしか「主観的なるもの」は育ちませんから。

他は本を読んだり、研究したりして埋めることはできますが、この点だけは埋めることができません。

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加えて、「運動神経のよさ」というのもこの「主観」に関係しているのかな、と最近思うようになりました。

「主観」のプールが大きいこと。
そして、「主観」のプールに経験知を自由に出し入れできること。
この2点に長けた人は運動神経がいいと言ってよいのではないでしょうか。

これもまた例を挙げておくと、古い例で恐縮ですが、以前、筋肉番付という番組がありました。
その中にモンスターボックスという巨大な跳び箱がありまして-

サッカーの中山雅史選手がね、挑戦していたんですよ。

1度跳んで失敗したのち、体操選手からこんなアドバイスをもらっていました。
「後に跳ぶ感じで踏み切るといいですよ」

全力で走ってきてロイター板を後に踏み切る!
中山選手は2~3回練習をしてみた後、納得した様子で、本番で見事に巨大な跳び箱を跳び越えていました。恐るべし。



まとまりのない話ですみません。
運動神経のよい人、入部お待ちしております。



追記:

そういえば年末に放送されていたとある番組で、一流のオーケストラの話をしていたのを思い出しました。

学生の演奏と大きくちがう点は、出だしの音がぴたっと合っていること。
指揮者に合わせて「同時」に音を出せばいいじゃんって思うでしょ?

ところがそうではないのです。
コントラバスなどの大きな楽器は、楽器自体が振動して音を発するまでにわずかに時間がかかるので、一流の奏者になるとそのタイムラグを考えてほんの少し早く、フライング気味に音を出すのだそうです。

「同時」に演奏していては「同時」に音が出ない-

バスケットでも「同時」という言葉をよく聞きますが、その内実はどうなのか。
「パスと同時にラン」って本当?

主観的に「同時」のつもりで動いていてはきっと「同時」にならないんだろうな。
「一流選手の動きはなぜ美しいのか」-小田伸午著(角川選書)
を読了。

客観的に見たときの身体の動きは、その動きを真似ても再現できない。
例えば一流スプリンターの動きを観察するとももが高く上がっているが、だからと言ってもも上げのトレーニングをするのはまちがいである。

選手はそのとき何をイメージして動いているのか。
そこに迫る良書です。

自分の場合は競歩の例が出てくるあたりからストンと腑に落ちました。

客観的には地面を一生懸命蹴って、前へ前へ少しでも速く足を回転させているように見えますが、否、主観的には後に回転させるようになってから記録が飛躍的に伸びたという話です。ちょうど自転車のペダルを逆回しするような感じですね。

もっとも自分の場合は、競歩ではなく「猫背」からきたのだけれど。

自分は猫背なのです。
以前、直したいなーと思っていたら、ある人からアドバイスを頂きました。
「後ろ向きに歩けばいいんだよ」

曰く、「猫背のままだと歩きにくいから上体が自然に起きる」とのこと。
で、やってみると確かに背中がすっと起きます。

そこでさらに、後ろ向きに歩いているようなイメージで前向きに歩いてみました。
すると背中に力みがなく、そのせいか歩く動作がなめらかになったのです。

以前、このblogの中で「一流のクライマーは歩かない」という話を書いたことがあります。
客観的には歩いているように見えても、主観的には片足ずつ交互にただ立っているだけ。

この動きをビデオに記録して、「膝がいちばん前にきている」とか「後に蹴りださない」とかポイントを発見し、それを真似る練習をしてもおそらく同じ境地には立てないでしょうね。

速く走れない人に「速く走れ!」
集中力に欠ける人に「もっと集中しろ!」 etc.

できれば自分は、以上のような指示は出したくないと思っています。
だからと言って必ずしも名案を持っている訳ではないので、変に期待されても困るのだけれど。

猫背を直すのに、「背中を丸めるな」とか「胸を張れ」とか言われてもきっと直せなかったでしょう。
人間っていろいろと天邪鬼で面白い。

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-と、ここまで書いてきたところでなぜか頭の中にプールのイメージが。

小学生の頃、プールの授業で渦をつくるのが大好きでした。
クラスみんなで同じ方向にぐるぐる回ると、プール全体が1つの渦になる。あれです。

1人で水をかいたくらいでは「流れ」はできてもすぐに周りの水に吸収されてしまい、渦にはなりません。そんなイメージでしょうか。

走れない人に「走れ!」と言うのは、この1人で水をかくのに似ているような気がします。何度やってもすぐに飲み込まれてしまい、流れらしきものができるのはほんの一瞬-

すべては徒労に終わることでしょう。



<今日のヒトコト>

 ●「そうする」のではなく「そうなる」。

  →もっと別角度からのアプローチを。すべてはどれだけ主観に落とし込めるかにかかっています。
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